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元捕虜の訪日記録

ローリー・リチャーズさんの酒田訪問−2011年3月4日

村田則子

3月4日 (金曜日)午後1時35分、ローリー・リチャーズさん(Dr. Rowley Richards)とその家族、合わせて5名が乗った全日空875便が庄内空港到着。直前まで真冬に戻ったようにふわふわと淡雪が舞い落ちていたが、午後からは時折青空が顔をだし日差しが覗いた。

元酒田捕虜収容所跡見学

空港から車で約10分のところにある公共温泉施設「スパ・ガーデン」。当時日本通運の酒田倉庫だったところは1944年10月から1945年9月まで仙台第9捕虜収容所として連合軍の捕虜が約300名収容されていた。そのうちオーストラリア人29名。リチャードさんは軍医として収容された。今、リチャーズさんはその跡形もないかつての収容所跡地に立ち、同行したオーストラリア放送協会の取材に感想を求められると、「これでいいんだ。平和な時が来たのだから」と語った。

本間美術館とその庭園

リチャードさんが今回の酒田訪問でぜひ訪れたいと希望されたところ。終戦直後、解放され帰国する前に訪れた思い出の場所である。またその後1959年に酒田を訪ねたときにも高橋さんと松本さんと再会を喜び、この美術館の庭園の前で語りあった。この日、冬の名残雪で覆われた庭を94歳のリチャードさんはしっかりと自分の足で立ち、静かに見っていた。半世紀が過ぎて再び訪れることができ様々な思い出が甦ったことだろう。

二人の恩人の遺族と体面

今回の訪問の大きな目的である、恩人の遺族との対面が果たされた。当時捕虜収容所だった日本通運酒田支店に勤務していた松本勇三さんと食肉処理業に携わっていた高橋忠吉さんの遺族がリチャーズさんらの家族の到着をホテルのロビーで迎えた。松本さんと高橋さんは敵国捕虜に対する市民感情が厳しい中、劣悪な食料や衛生事情、住環境など過酷な捕虜生活をみかね、自らの危険を顧みず医薬品や食料を捕虜たちに与えた。今回の訪問はその遺族たちに会いたいとわずか半日の酒田滞在だが長年の希望がかない実現したものだ。ホテルでの歓迎会でリチャーズさんは「二人がいたから辛い捕虜生活を乗り越えられた。そしてここまで長く生きられた。酒田が好きになった。若い人たちに戦争で何が起こったかを知って欲しい」と話した。中学生のころリチャーズさんと文通をしたという高橋さんの曾孫も遠方から駆けつけ曾祖父の古い友人と握手を交わし語り合った。リチャ−ズさんと二人の恩人との繋がりはその遺族にも受け継がれ、平和の歩みに繋がっていく光景を見た。