POW研究会トップ活動報告元捕虜の訪日記録>日本政府招聘によるオーストラリア兵元捕虜の来日(2011-03)
 
元捕虜の訪日記録

日本政府招聘によるオーストラリア兵元捕虜の来日
(2011年3月1日〜9日)

笹本妙子

はじめに

2011年3月1日〜9日、オーストラリアの元捕虜5人とその付添人計10人が、日本政府の招聘(事業名「日本人とPOWの友好プログラム」)で来日しました。
 日本の若い世代の中には、第2次大戦中日本がオーストラリアと戦ったことすら知らない人もいますが、両国が交戦したジャワやシンガポールなどでおよそ2万2千人のオーストラリア兵が日本軍の捕虜となりました。彼らは「死の鉄道」と呼ばれた泰緬(タイメン)鉄道をはじめとする東南アジア各地、そして日本国内にも送られ、過酷な労働と飢えや病の果てに約8千人が死亡しました。死亡率は36パーセントにも及びます。第2次大戦中のオーストラリアの総戦死者数は約1万9千人ですが、その4割強が日本軍の捕虜として死亡したという事実は、オーストラリアのナショナルヒストリーに重く暗い影を落としています。生還した人々も、心身に刻まれた深い傷に戦後も長く苦しみ、その反日感情は今も事あるごとに噴き出しています。
 こうした歴史を背景に、日本政府は平成9年度(1997)〜17年度(2005)、従軍関係者を招聘する「日豪草の根交流計画」を実施してきましたが、元捕虜の招聘は1度のみで、反日感情は依然くすぶり続けていました。
 2006年頃から、当時外相だった麻生太郎氏の親族企業が戦中朝鮮人や連合軍捕虜を使役していた事実が英・豪などのメディアでクローズアップされ、2008年9月に同氏が首相に就任すると、国会でも追及されるようになりました。2009年6月、POW研究会有志や捕虜問題に関心を持つ市民、国会議員などが中心となってカンパを集め、麻生炭鉱で使役された元オーストラリア兵捕虜とイギリスの捕虜遺族を日本に招待する一方、日本政府に対しては、オーストラリアの元捕虜や家族を政府の事業として招聘するよう求めました。今回のプログラムはこうした流れの中で実現しました。
 約1週間の滞在中、盛り沢山の行事がありましたが、前原外務大臣による誠実な謝罪は元捕虜の方々に深い感銘をもって受け止められたようでした。POW研究会も京都と東京で証言集会、交流集会を開催したほか、収容所跡地に同行するなど、様々な形で関わりました。各地でも温かく迎えられ、皆さん元気で旅を続けられたのは何よりでした。「大変実り多い素晴らしい旅だった」との言葉を残して、日本を去って行かれたその2日後、あの東日本大震災が発生したのです。もし滞在中だったらと思うとゾッとしますが、間一髪で免れ、本当に良かったと思います。

来日メンバー

Mr Harold Ramsey(ハロルド・ラムジー)

1921年生。89歳。ビクトリア州在住。
 18歳でオーストラリア陸軍に入隊。中東で戦闘に参加。いったん帰国後、ジャワ島に派遣され、そこで日本軍の捕虜となり、シンガポールのチャンギ収容所に収容された。その後、泰緬鉄道の建設工事に従事。楽洋丸で日本に移送される途中、南シナ海で1944年9月12日に米軍潜水艦の攻撃により沈没。日本船に救助され、東京11派遣所(のち第14分所、横浜市鶴見区)に収容、東芝鶴見工場で働かされた。1945年4月15日、同収容所が米軍機の空襲により破壊された後、新潟の東京第15分所に移され、新潟鉄工所で労役に従事。
 <付添人> Stephen Ramsey (ステファン・ラムジー):息子

Mr Norman E Anderton (ノーマン・アンダートン)

1921年生。89歳。クイーンズランド州在住。
 オーストラリア陸軍第8師団通信隊員。シンガポール陥落前の1942年2月13日に負傷し、市内の病院に入院中に捕虜となる。その後、泰緬鉄道で労役に従事し、ビルマ(ミャンマー)のタン・バヤ病院収容所で終戦を迎えた。日本国内の収容所には送られていないが、今回の旅では、自分の命を救い太平洋戦争終戦の契機となった歴史的な場所である広島と、終戦後の7年間オーストラリア軍が駐留していた呉の訪問を希望。
 <付添人>Ms. Nichole (Nikki) Wood (ニッキ・ウッド):姪

Mr Alfred John Simmonds (Jack) (ジャック・シモンズ)

1922年生。88歳。クイーンズランド州在住。
 シンガポールで捕虜となり、チャンギ俘虜収容所に収容。1943年5月に旭光丸でシンガポールから門司へ到着。大阪第10分所(大正分所、大阪市大正区新千歳町)に収容され、大阪鉄工所(現・日立造船築港事業所)で労役に従事。45年5月に大阪第7分所(福井県武生市北府2丁目)に移され、信越化学の工場で使役された。2004年に、元オーストラリア兵捕虜ニール・マックファーソンさんやジャック・ブーンさんと共に来日、POW研究会と交流。英連邦横浜墓地訪問、武生の信越化学訪問、奈良日豪協会との交流などに参加。
 <付添人>Dawn June Steindl (ドーン・ステインドル):パートナー

Dr Charles Rowland Bromley Richards (ローリー・リチャーズ)

1916年生。94歳。ニューサウスウエールズ州在住。
 シンガポールで捕虜となり、泰緬鉄道建設現場へ送られ、軍医として捕虜の生命を救うために懸命の努力をした。その後、サイゴンを経て、楽洋丸で日本に移送される途中、南シナ海で同船が米潜水艦の攻撃により沈没。日本海軍の海防艦に救助され、仙台第9分所(山形県酒田市)に収容、日本通運酒田支店で使役された。『A Doctor’s War』などの著書あり。1959年に日本を再訪し、酒田で親切にしてくれた2人の民間人と再会した。また、自分たちを救助してくれた海防艦の艦長を捜し続け、POW研究会メンバーなどの協力で手がかりはつかめたが、まだご本人にも遺族にも対面できていない。2006年にキャンベラのオーストラリア国立大学で行われた同大学とPOW研究会の共同セミナーでスピーカーを務めた。
 <付添人>Dr. David Alexander Bromley Richards(ディビッド・リチャーズ):長男
 <私費参加>Ms. Patricia Margaret Reed(パートナー)、Ms. Maria Clare Richards(長男妻)、Ms. Lois Yvonne Richards (次男妻)

Mr GF(Fred) Brett(フレッド・ブレット)

1925年生。85歳。タスマニア州在住。
 1942年、チモールで捕虜となり、チャンギ収容所に収容。その後、泰緬鉄道で労役に従事。1944年7月に「羅津丸」別名「ビョーキ丸」で日本に移送されるが、航海に2ヶ月かかり、9月に福岡第13派遣所(大分県佐賀関町)に収容され、日本鉱業佐賀関精錬所で労役に従事。1945年6月、第13派遣所の閉鎖されたため、第8派遣所(のち第5分所/福岡県川崎町)に移され、古河鉱業大峰鉱業所の炭坑で働く。日本再訪を強く希望し、今回の旅では佐賀関を訪ね、親切だった元監視員の三河春海さんと再会するのが願い。
 <付添人>Mr. Robert Bennett(公認看護師)

日程

3月1日(火)

17:10成田着 【東京泊】

3月2日(水)

オリエンテーション、駐日オーストラリア大使主催アフタヌーンティーなど 【東京泊】

3月3日(木)

外務大臣表敬訪問、「国際IC議員連盟」主催講演会、地域交流など 【東京泊】

 前原外務大臣表敬訪問

大臣は「我が国がオーストラリア人元捕虜を含む多くの人々に対し、多大の損害と苦痛を与えたことに、改めて深く反省し、お詫び申し上げます」と謝罪し、5人それぞれに銘々票(捕虜カード)や関連資料のコピーを手渡した。また、戦後日本に保管されていたオーストラリア人元捕虜の銘々票等の写し全体を引き渡す準備を開始することを伝えた。これに対し、一行を代表してローリー・リチャーズ氏が「今回の招待は元捕虜に対する政府のお詫びの気持ちを具体的に示すものであり、大変感謝している」と述べ、また一行より「銘々票の返還は元捕虜のみならず、家族にとっても重要であり、日豪の友好関係の増進に資する」と謝意が表された。

 「国際IC議員連盟」主催講演会

超党派の国会議員で構成される同連盟(司会:藤田幸久議員)に招かれ、それぞれの捕虜体験を語る。

3月4日(金)

各招聘者ゆかりの地訪問(横浜・新潟/広島・呉/大阪/酒田/大分) 【地方泊】

ハロルド・ラムジー
  …横浜市(東芝鶴見工場・東京第14分所跡)→新潟市(東京第15分所跡など)

   >>リポート「ハロルド・ラムジーさんの横浜鶴見訪問」笹本妙子
   >>リポート「ハロルド・ラムジーさんの新潟訪問」高田ミネ

ノーマン・アンダートン
  …広島市(原爆資料館など)→呉市
   ※アンダートンさんは日本国内の収容所には移送されなかった

ジャック・シモンズ
  …大阪市(日立造船築港工場など)

   >>リポート「ジャック・シモンズさんの日立造船訪問」福林徹

ローリー・リチャーズ
  …山形県酒田市(仙台第9分所跡など)

   >>リポート「ローリー・リチャーズさんの酒田訪問」村田則子

フレッド・ブレット
  …大分県佐賀関(日鉱佐賀関精錬所・福岡第13派遣所跡)
   ※POW研究会メンバーは同行できなかった

3月5日(土)

京都(霊山観音/観光/証言集会) 【京都泊】

   >>リポート「霊山観音訪問・京都観光」福林徹
   >>リポート「元オーストラリア兵捕虜京都証言集会」福林徹

3月7日(月)

奈良(カトリック奈良教会/観光)/夕方、東京着 【東京泊】

   >>リポート「カトリック奈良教会訪問」福林徹

3月8日(火)

横浜保土ヶ谷英連邦戦死者墓地訪問/市民交流集会(POW研究会主催) 【東京泊】

   >>リポート「英連邦戦死者墓地訪問」田村佳子
   >>リポート「オーストラリア元捕虜・家族との市民交流集会」記録:荒川美智代

3月9日(水)

買い物等/20:00成田発