POW研究会トップ活動報告元捕虜の訪日記録>日本政府招聘によるオーストラリア兵元捕虜の来日(2011-11)
 
元捕虜の訪日記録

日本政府招聘によるオーストラリア兵元捕虜の来日
(2011年11月27日〜12月5日)

2011年11月27日〜12月5日、オーストラリアの元捕虜・抑留者5人とその家族が来日しました。日本政府の招聘による第2回目の訪問団です。今回のメンバーで日本に送られたのは、横浜に抑留されたローナ・ジョンストンさんだけで、メンバーただ1人の女性でもありました。あとの3人はシンガポールと泰緬鉄道で過酷な労働、もう1人は特殊部隊のメンバーとして特異な体験をした方です。どなたも、思い出すことさえつらい体験を、そのつらさを乗り越えて私たちに語って下さったことに、心から感謝しました。またお子さんたちが、父や母から日本人への敵意に満ちた言葉を聞いたことがないとおっしゃったのが印象的でした。皆さん、各地で温かい歓迎を受け、戦中とは違う日本人の姿に接し、特に子どもたちの姿に明るい希望を見いだしたようでした。

来日した皆さんのプロフィール

ローナ・ジョンストン(Lorna Johnston)さん(96)

ニュージーランドのオークランド在住。1942年1月にラバウルで捕らえられた18人のオーストラリア人看護婦の1人。1942年7月に鳴門丸で日本に移送され、1945年9月まで横浜の民間人抑留所に抑留。来日メンバーの中でただ1人の女性。(同行:娘)

オーストラリア看護婦については本サイト内「太平洋戦争と横浜の外国人 —敵産管理と敵国人抑留—」を参照 >>Jump

アーサー・ギャンブル(Arthur Gamble)さん(93)

西オーストラリア州在住。1942年2月、シンガポールで捕虜となり、シンガポールと泰緬鉄道の収容所で4年近くを過ごす。マラリアなどに罹患。終戦に伴い、帰還。(同行:妻、私費で娘も)

バートン・リチャードソン(Barton Richardson)さん(91)

ニューサウスウェールズ州在住。1942年2月、マラヤで捕虜となり、シンガポールで労役に従事した後、1943年に泰緬鉄道に送られ、その建設工事に従事。1945年11月に解放。(同行:娘)

アルフレッド・ジェームス・エルウッド(Alfred James Ellwood)さん(89)

ビクトリア州在住。1943年9月、特殊部隊のメンバーとして潜入した東チモールで捕虜となり、ジャワに移送後、1945年10月、バリで解放される。(同行:息子)

デヴィッド・バレット(David Barrett)さん(89)

クイーンズランド州在住。1942年2月、シンガポールで捕虜となり、1943年8月、タイに送られ、泰緬鉄道の建設工事に従事。終戦後、泰緬鉄道沿いの墓地捜索隊に加わり、捕虜の遺体収集に従事した。(同行:息子、私費で娘も)

彼の体験記は「誰がタマルカンの橋を爆破したか/戦没者墓地捜索隊」 >>Jump

Itinerary

11月27日(日) 成田着 東京泊
11月28日(月) 東京都内で地域交流・駐日豪大使主催アフタヌーンティーなど/td> 東京泊
11月29日(火) 東京都内見学・表敬訪問・政府要人訪問・国際IC促進議連との懇談会など 東京泊
11月30日(水) 横浜保土ヶ谷英連邦戦死者墓地訪問・東京都内で市民交流集会 東京泊
12月1日(木) 各人ゆかりの地や希望地を訪問(東京・横浜・埼玉・兵庫・岡山・広島) 地方泊
12月2日(金) 各人ゆかりの地や希望地訪問 夕方、京都着 京都泊
12月3日(土) 京都観光・霊山観音訪問 京都泊
12月4日(日) 奈良観光・奈良市登美ヶ丘のカトリック教会で交流会 京都泊
12月5日(月) 大阪市内観光・関西空港発

11月29日(火)玄葉外務大臣表敬訪問

【外務省記者発表要旨】 外務省ウェブサイト >>Link

大臣は、わが国がオーストラリア人元戦争捕虜を含む多くの人々に対し多大の損害と苦痛を与えたことについて、深い反省と心からのお詫びの気持ちを表明、来日した5名一人一人にゆかりの資料である収容所名簿や関連資料の写しを手渡した。さらに、戦後わが国に保管されていたオーストラリア人元捕虜の銘々票や関連資料を引き渡す準備を進めており、できるだけ早い時期に引き渡すと述べた。一行を代表し、ローナ・ジョンストンさんが今回のプログラムに感謝し、日豪の関係が将来にわたり平和的、友好的に発展することを願っていると述べた。(写真提供:外務省)

11月30日(水)

<横浜保土ヶ谷の英連邦戦死者墓地訪問>

午前9:30より墓地オーストラリア区にて慰霊祭。豪大使館から大使、武官列席の下、軍隊付き牧師による慰霊祭が始まりました。バグパイパーが演奏する中、大使を筆頭に元捕虜1人1人が十字架の基に献花。彼らにとって万感胸に迫るものがあったようでした。式典後、大使館心尽くしのお茶とお菓子がふるまわれ、皆さん、ゆっくりと時を過ごされました。

<市民交流集会in東京> >>詳細はこちら

会場:大阪経済法科大学東京麻布台セミナーハウス(東京都港区)

主催:元捕虜・家族と交流する会

協力:POW研究会

元捕虜・家族が到着する前の30分を事前学習の時間とし、POW研究会代表の内海愛子が泰緬鉄道について、会員・小宮まゆみが横浜に抑留されたオーストラリア看護婦について、映像を見せながら短いレクチャーをしました。これによって、元捕虜の方々の話がイメージしやすかったとの評価をいただきました。元捕虜の方々は、思い出すことさえつらい体験を、そのつらさを乗り越えて真摯に私たちに語って下さいました。同行したお子さんたちも、会場からの質問に答えて活発に意見や感想を述べ、心の通い合う実り多い集会となりました。

12月1日〜2日:地方訪問

<ローナ・ジョンストンさんの横浜訪問> >>詳細はこちら

1日(木) 抑留所跡地訪問&近隣住民と懇談(横浜市泉区)

ローナさん母娘は10時に現地到着。抑留所跡地周辺(現在は住宅地)を散策した後、近所の山村さん宅に当時を知る人々が集まり、古い写真などを見ながら思い出を語り合いました。寒さや飢え、井戸水汲みのつらさ、ひもじくて犬を殺そうとした話、「ベンジョマン」と子供用の靴とサツマイモを交換した話……等々、双方の話が見事に一致し、ローナさんの記憶力の良さに驚くとともに、同時代を生きた人同士の心の通い合いに感動させられたひとときでした。

2日(金) 中和田小学校で講演(横浜市泉区)

ローナさんは、元抑留所の近くの中和田小学校で捕虜体験を講演しました。ラバウルで捕虜になったことから日本に連れてこられたこと、交換船に乗せてもらえなかった事、寒さや飢えに苦しんだこと等、96歳とは思えない力強い口調でした。子どもたちには予備知識があまり無いことであり、通訳の問題もあってうまく伝わるか心配しましたが、彼らはローナさんの話に興味を持って、時間一杯に次々質問をしてくれました。

<デヴィッド・バレットさんの倉敷・岡山訪問>

12月1日、バレットさんは岡山県倉敷を訪ね、長年の友人たちと旧交を温め(写真)、また故永瀬隆さんのお墓参りをしました。永瀬さんは戦中、泰緬鉄道の憲兵隊で通訳を務め、終戦直後には墓地捜索隊に駆り出され、バレットさんと共に泰緬鉄道で死亡した捕虜たちの遺体収集作業に従事した人です。戦後の生涯を贖罪と和解の活動に捧げ、バレットさんとも長年の親交がありましたが、2011年6月に亡くなりました。翌2日、バレットさんは岡山大学の中尾知代准教授のクラスで、学生たちに捕虜体験を語りました。

12月3〜4日:京都・奈良訪問

<3日(土):霊山観音>

ここには、第2次大戦中に日本軍の管理下で死亡した捕虜や民間人抑留者の名簿や個人カードが保管されており、全員で閲覧しました。名簿の中で1枚だけ綴じられずに入っていたページが、偶然にもバレットさんの部隊のリストでした。彼は「全員友だちだ」と言って、しばらくそのページを手から離そうとしませんでした。
(写真提供:坂口春海)

<4日(日):奈良・登美ヶ丘教会>

この教会は、日豪の友好・和解活動に献身したトニー・グリン(Tony Glynn)神父によって設立されました。彼は、泰緬鉄道の捕虜で従軍司祭でもあったライオネル・マースデン(Lionel T. Marsden)神父が、戦後、日本への怒りと憎しみを乗り越え、オーストラリアから日本へ「愛の鉄道」を敷こうと立ち上がったとき、それに共鳴して日本にやってきた1人でした。2人の神父の仕事は、千葉茂樹監督の「愛の鉄道」(1999年)に詳しく描かれています。

5人の元捕虜と家族は登美ヶ丘教会を訪ね、トニー・グリン神父の弟でオーストラリアから来日中のポール・グリン神父らと懇談しました。その後、トニー・グリン神父にちなんで建てられたグリンホールで映画「愛の鉄道」を鑑賞しました。ホールには100人以上の市民が集まっていましたが、スケジュールの関係で、途中で退席しなければならず、残念ながら市民との懇談は叶いませんでした。

▲ページのトップに戻る