| 会員による出版物 |
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『C級戦犯がスケッチした巣鴨プリズン』 草思社/2011年4月/1700円+税/ISBN:978-4-7942-6 東條英機の世話係だった「生き証人」が膨大なスケッチとともに回想する獄中生活! |
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『射殺されたガダルカナル日本兵捕虜:フェザーストン事件を追う』 新人物文庫/2011年2月/714円+税/ISBN:978-4-404-03971-2 初めて明かされる銃撃事件の真実。 |
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『日本のドキュメンタリー 2 政治・社会編』 岩波書店/2010年/2400円+税/ISBN:978-4000272179 ドキュメンタリーの中で戦争はどのように描かれたか? |
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『泰緬鉄道からの生還 雄山閣/2009年8月/2800円+税/ISBN:978-4-639-02098-1 1942年8月から1943年10月までの僅か一年余りの間に、約6万人の連合軍戦争捕虜と約20万人のアジア人が、タイのノーン・プラドゥークとビルマのタンビュザヤを結ぶ415キロの鉄道を敷設するため、日本軍によって強制労働に従事させられた。 |
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『空襲に追われた被害者たちの戦後 岩波書店/2009年3月/480円+税/ISBN:978-4-00-009450-4 1945年3月10日の東京大空襲、それに先立つ日本軍による中国・重慶への爆撃は、いずれも多くの命を奪い、九死に一生を得た生存者たちも苦難の人生を歩むことを余儀なくされた。 |
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『敵国人抑留 戦時下の外国民間人』 吉川弘文館/2009年3月/1800円+税/ISBN:978-4-642-05667-0 忘れられた戦争の傷跡——。 |
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『キムはなぜ裁かれたのか』 朝日新聞出版/2008年10月/1500円+税/ISBN:978-4-02-259948-3 BC級戦犯裁判で、朝鮮人148人が戦犯となり、23人が死刑になった——。 |
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『Field of Spears The Last Mission of the Jordan Crew』 Paulownia Press/2007年/£17.95/ISBN:978-0-955582-1-4 昭和20年7月、11人が搭乗して新潟を空襲したB29の1機が撃ち落とされた。 |
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『植民地時代の古本屋たち 樺太・朝鮮・台湾・満州・中華民国─空白の庶民史』 寿郎社/2007年12月/2000円/ISBN:978-4-9022-23-9 <外地>に渡った彼らはどんな商売を営んでいたのか? |
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『海の墓標 戦時下に喪われた日本の商船』 展望社/2007年2月/1800円+税/ISBN978-4-88546-170-5 戦没商船2,568隻、843万総トン、六万数千人の船員が海の藻屑と消えた。 |
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『日本軍の捕虜政策』 青木書店/2005年4月/6800円+税/ ISBN4-250-20502-9 戦争裁判が裁かなかったもの、それは……。 |
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『将軍は なぜ殺されたか 豪州戦犯裁判・西村琢磨中将の悲劇』 原書房/2005年3月/1800円+税/ ISBN 4-562-03879-9 もう一匹の虎を罠にかけよ |
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『あゝ、大森捕虜収容所 ‐戦中、東京俘虜収容所の真相‐』 2004年8月/非売品/ ISBN 4-907708-06-8 C0095 戦時中、東京俘虜収容所本所(大森収容所)の主計軍曹として勤務した著者が、戦後一貫してその実態究明に取り組んだ成果を、感慨をこめて世に問う。 |
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『連合軍捕虜の墓碑銘』 草の根出版会/2004年8月/2,800円+税/ ISBN 4-87648-201-2 横浜の「もう一つの外人墓地」──英連邦戦死者墓地。第二次大戦中、日本に連行されて死亡した連合軍捕虜1700人余りが眠る。この墓地との出会いをきっかけに、全国130ヵ所の捕虜収容所の調査に取り組んだ著者の7年間の記録。過酷な労働、飢えや病や虐待の果てに死んでいった捕虜たち、今なお日本への憎しみを抱えて生きる元捕虜たち、一方、捕虜虐待の罪で戦犯に問われた日本人。双方に深い傷跡を残した『捕虜問題』の実態を、様々なエピソードを交えてリアルに描き出す。歴史の襞に埋もれたその問題が、今日に問いかけてくるものは? |
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『捕虜収容所補給作戦 B−29部隊最後の作戦』 2004年8月/2,800円+税/ ISBN 4-9900314-6-6 終戦直後、日本軍管理下の連合軍捕虜収容所に対して、B-29部隊による大規模な救援物資投下作戦が行われた。この本は、その「作戦任務報告書」を翻訳したもので、連合軍が捕虜の救援・救出を最優先の課題と考えて行った、知られざる作戦の企貌を初めて明らかにしたものである。あわせて、第2次大戦時の日本国内の捕虜収容所の概要と分布地図などを掲載した本書は、類例のない資料として、高い価値を有するものである。 |
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『スガモプリズン 戦犯たちの平和運動』 吉川弘文館/2004年5月/1,700円+税/ ISBN 4-642-05576-2 C0320 第二次大戦後,再軍備へ向かう政府に戦争反対の声をあげたBC級戦犯たち.名作「私は貝になりたい」は,その魂の叫びをもとに生まれた.戦犯たちのスガモプリズンでの思索と行動から,真の戦争責任とは何かを考える. |
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『夏は再びやって来る 戦時下の神戸・オーストラリア兵捕虜の手記』 神戸学生青年センター出版部/2004年3月/1,890円+税/ ISBN 4-906460-42-9 終戦によって,ようやく世界に平和が訪れた時,我々の勝利や解放の喜びは,敗戦した日本人の悲しみとなりました.しかし今60年を経て,オーストラリアと日本はとても仲の良い友人同士となり,重要な経済パートナーとなっています.このような友愛が永遠に続くことを切に祈念しています. 神戸の皆様への友愛を込めて, |
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『ルソン島 戦場の記録 たたかいと飢えの中を生きて』 岩波ブックレット602/2003年8月/480円+税/ ISBN 4-00-009302-9 学徒兵として出征、地獄のフィリピン戦から辛うじて帰還した叔父の体験を、新聞記者で甥にあたる筆者が、現地を訪ねながら生々しく綴る。戦争体験者が少なくなった現在、次世代が戦争をどう語り継ぐかの模範を示したとも言える好著。 |
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『七三一部隊の生物兵器とアメリカ』 かもがわ出版/2003年8月/3,200円+税/ ISBN 4-87699-765-9 C0336 原著は、イギリスのテレビ局が3年近くかけて製作したドキュメンタリー番組のために集められた、膨大な資料と証言をまとめて出版された。加えて、このテレビ番組の取材リサーチャーでもあった訳者が、現在に至る生物兵器の軌跡を取材して第6章を書き下ろした。9.11同時多発テロ以降の世界を見渡す時、それは、21世紀の人間の在り方をも問いかけている。 |
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『教科書に書かれなかった戦争PART43 バターン 遠い道のりのさきに』 梨の木舎/2003年3月/2,700円+税/ISBN 4-8166-0207-0C3022 ・だれの戦争体験談もすべて憎しみの物語だと思うし、だれを相手に戦おうとその点で違いはない。戦闘が私たちの肉体を滅ぼすように自分の抱く憎しみはたしかに私たちを精神的に破壊する。過去の残虐な体験も自分さえチャント向き合うなら、人生はまだまだ豊かに私に与えてくれる。/ レスター・テニー |
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『生物戦部隊731—アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』 草の根出版会/2002年5月/2800円+税/ISBN 4876481741 恐るべき細菌戦の中心的役割を果たした日本軍731部隊で行われた、残虐な戦争犯罪。日本医学界・科学界の選りすぐりの頭脳が集まって何をしたのか、なぜ彼らは他の戦犯と異なり見逃されたのかを今の目線で語る。 |
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『知日家イギリス人将校シリル・ワイルド 泰緬鉄道建設・東京裁判に携わった捕虜の記録』 明石書店/2001年8月/2,800円+税 /ISBN 4-7503-1450-1 戦前、シェル石油の社員として日本でも勤務していたシリル・ワイルドは、第二次大戦時に日本語通訳の高級将校としてシンガポールに赴任。パーシヴァル英中将が山下奉文中将に降伏したフォード工場での会見では英側の通訳を勤めた。その後捕虜として泰緬鉄道の奥地に入り、辛酸をなめる。戦後、立場を逆転させて日本軍人の戦犯追及に辣腕を振るう。1946年、東京裁判に証人として出廷したあと、シンガポールでの戦犯裁判に戻る途中、香港で飛行機事故のために38歳の命を閉じる。本書は、泰緬鉄道建設の捕虜収容所からビルマにむけて脱走してつかまり、ワイルドの尽力で延命できた著者が、戦後、ワイルドの書き残していた資料をもとに描いた同大佐の伝記。 |
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『忘れないように‐日本軍の捕虜として生きる‐』 オリジナルブックマイン出版/2001年5月/1,000円(送料込)/ISBN 4-901593-01-3 C0031 イギリス人、フレッド・シーカーさんによって描かれた、第二次世界大戦中、旧日本軍の捕虜としてタイでの強制労働(泰緬鉄道建設)の体験を描く貴重な記録の日本語訳版です。旧日本軍のタイでの捕虜強制労働について書かれた書物は少なく、歴史資料としても価値が高い絵本です。(シーカーさんは戦後、著名な画家として活躍) |
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『京浜地区の捕虜収容所 中間報告書』 1999年 第二次大戦中、京浜地区にあった19ヶ所の捕虜収容所に関する調査報告書。1999年刊。現在絶版になっているが、横浜市内の公立図書館で閲覧可能。 |
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『クワイ河の虜』 新風書房/1996年6月/1,500円(税込み)/ISBN 4-88269-336-4 第二次大戦時、日本軍のビルマ(現ミャンマー)への補給路として1年半ほどで建設された泰緬鉄道は、いまも一部がタイ・バンコクの西部を走っている。その中心地カンチャナブリを訪れる旧連合軍の元捕虜と旧日本軍将兵などとの出会いや、若い世代の訪問を、オーストラリア人の記者が描く。 |