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丹後丸

丹後丸(たんごまる)

所属 飯野海運(拿捕船・旧蘭船トゥージューク)
類別
総トン数 6,200トン
速度 12ノット
出発地 ジャワ島スラバヤ
目的地 セラム島アンボン
出発日 1944年2月24日15:22
捕虜数 3,500(大半がジャワ人労務者と2~300名の捕虜)名
遭難地点 バリ島沖(南緯07度41分、東経115度10分付近)
遭難日 1942年2月25日
捕虜死者数 3,000名以上
捕虜生存者数 500名未満
写真提供

アンボンとハルクで強制労働させられている捕虜の死亡率と罹病率が非常に高かったので、ジャワにいる「健康な」捕虜と交代させる必要性が生じ、1944年2月24日、約3,500名のジャワ人労務者などが、「丹後丸」で輸送するため、スラバヤに集められた。「丹後丸」は、「隆西丸」(西太洋漁業貨物船、7,386 ㌧。約6,600名の日本軍兵士が乗船)とともに船団を組み、掃海艇「8号」、「11号」、特設駆潜艇「第5拓南丸」に護衛されてスラバヤを出港した。当日、この海域で行動していた2隻の米潜「レイトン」と「ラッシャー」は、ウルトラ情報(「冲鷹」の項を参照)を受信し、2月25日、18時から20時の間に、2隻からなる船団が、彼らの哨戒区域を通過することを知らされた。彼らはロンボック海峡を通過し、バリ島の北20海里に到着した。17時30分、「ラッシャー」は船団を視認し、大きく迂回して船団の予定コース上で待ち受けることを決め、その旨を「レイトン」に無線連絡した。夕闇と波だった海面は、浮上攻撃に最適の状態を呈した。19時43分、「ラッシャー」は900メートルの至近距離から4本の魚雷を「丹後丸」目がけて発射した。同潜が魚雷の再装填のため現場を離れようとしたとき、3本の魚雷が命中して、「丹後丸」を引き裂いた。被雷後5分して同船は波間に消え、10分後にボイラーの爆発音が聞こえた。3,000名以上のジャワ人労務者と捕虜は死亡した。

この後、「隆西丸」も「ラッシャー」に撃沈され、乗組員と兵士4,998名が死亡している。2回に及ぶ連続攻撃で約8,000名の死者を出したことは、海上における最大総計死者数といえる。