日明丸 |
日明丸(にちめいまる)
所属 | 日産汽船 |
類別 | |
総トン数 | 4,693トン |
速度 | |
出発地 | マレー半島ペナン |
目的地 | ビルマ、モールメン |
出発日 | 1943年1月11日 |
捕虜数 | 蘭965名 |
遭難地点 | ビルマ(ミャンマー)モールメン南方約50海里 |
遭難日 | 1943年1月15日15時15分~50分 |
捕虜死者数 | 蘭約40名 |
捕虜生存者数 | 約925名 |
写真提供 | Alfred Nobel |
「日明丸」は「門司丸」(米、豪の捕虜が乗船)と供に小船団を組んで、特設捕獲網船「ちゅうこう丸」と駆潜艇「8号」に護衛されてモールメンに向けて北上する途上、米爆撃機B-24 の高高度水平爆撃を受けた。最初の攻撃で3発が「日明丸」の前後に落下、次の攻撃では各1発が第2船倉と機関室の間と船橋に命中、その他が至近弾となって停止し、急激に約15度傾き、30分後に沈没した。「日明丸」に乗っていた日本兵1,562のうち97名と船員、船舶砲兵5名が死亡、多量のレール、鶴嘴、シャベルと機関車が海没したと報告されている。「門司丸」が周囲海域を3時間かけて生存者を救助した。捕虜はモールメン、タンビサヤ経由で18㌔キャンプに到着した。
注:1943年5月31日、遭難者の遺体が印度洋タホイ沖で発見されたというインターネット情報がある。