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B−29国際研究セミナー
大船収容所跡地見学会
セミナー前日の19日(土)午後には、栄光学園近くの大船捕虜収容所跡地と同収容所で死亡した捕虜の卒塔婆がある龍宝寺の見学会が行われた。当会会員で栄光学園教師の大島弘尚とOBの平松晃一がガイド役となり、20人が参加した。
当時小学生で収容所のそばに住んでいた田所氏が、収容所跡や捕虜墓地跡などを案内しながら当時の思い出を語った。塀のすき間から覗いた収容所の様子、大船駅から徒歩やリヤカーで連れてこられた捕虜たちの様子、終戦直後に投下された救援物資を近所の人々が拾って届けたり物々交換したりしたこと、捕虜から英単語を教えてもらったこと……等々。近所の人々は捕虜に対する敵意はなく、終戦間際にトンネル掘りの作業に駆り出された捕虜たちにお茶とおやつを与えるなどしたという。
収容所跡に戦後家を建てた椿原さん(94歳)宅の庭には、収容所の監視塔の礎石の1つが残っている。「亡くなった主人からいつも“これは大事なものだから、残しておくように”と言われ、今日まで守ってきましたが、皆さんに見ていただけて嬉しい」と語った。
収容所で死亡した捕虜6人は収容所そばの丘の斜面に埋葬されたが、戦後GHQが遺骨を掘り起こして持ち帰った。その後龍宝寺の住職が境内の墓地に卒塔婆を建て、毎年供養している。卒塔婆には以前は6人の名前が記されていたが、今は「大施餓鬼会為当山門前捕虜収容所戦没者諸英霊菩提追善供養塔」とだけ記されている。
大船収容所跡地 今は住宅地になっている |
椿原さん宅にて収容所の監視塔礎石を見る |
大船収容所近くの龍宝寺 |
境内の墓地に立てられた死亡捕虜の卒塔婆 |